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2007年04月20日

政府「地震動予測地図」発表

政府の地震調査研究推進本部が
「地震動予測地図」の2007年版を発表しました。

この地図は 海溝型地震や国内の主な活断層などを考慮して
揺れが起きる確率を1キロ四方の区域ごとに算出。

   
地図は推進本部のホームページより http://www.jishin.go.jp/

05年3月に初公表され 最新のデータを加味して毎年更新しているモノ。

それによると 今後30年以内に震度6弱以上の揺れが起きる確率が
昨年9月発表の06年版に比べ 南海・東南海両地震の影響が想定される
東海から近畿・四国で上昇しています


耐久性のある建築物を考えた場合
やはり 何百年に一度あるだろう大地震にも
耐えうるだけの耐震力を と実践してきましたが
やはり その仮想は いつ起こってもおかしくない状況に。

大切な家族を守るのは 家族しかありません

もし地震が来たら まず命を守る事に専念してください

街を歩くと 一目で危険な建物も目にしますが
家の補強も必要ながらも まず地震が起こった時の
避難場所家族の集合場所等を 決めておくべきでしょう。

また 先日の能登地震の倒壊建物を見ても
殆どが 柱の引き抜きによる倒壊でした。

今一度 建物の安全を見直す機会かもしれません。

○×工法や特許工法が地震に強いのでは無く
軸組の結合強度や 強いだけで無いバランス良い
耐力壁の設置と丁寧な工事が 一番重要かと思われます


飛騨地域の地面下には 幾層もの断層が存在しています。

岐阜県の防災資料によると

この地域には 1961年(昭和36年)から 
M7以上の地震は起こっていません。

主な活断層が動いた場合の 想定被害は下記。

=阿寺断層の被害想定=

■建物全壊棟数(午後6時発生、午前3時発生共通) 
  29,000棟(うち飛騨20,000棟)
■死者数(午前3時発生)
  1,300人(うち飛騨970人)
■重症者数(午前3時発生)
  1,600人(うち飛騨800人) 
■要救出者数(午前3時発生)
  3,300人(うち飛騨2,400人)
■避難者数(午後6時発生、午前3時発生共通)
  90,000人(うち飛騨58,000人)

=跡津川断層の被害概要=

■建物全壊棟数(午後6時発生、午前3時発生共通) 
   19,000棟(うち飛騨18,000棟) 
■死者数(午前3時発生)
    850人(うち飛騨800人)
■重症者数(午前3時発生)
  1,300人(うち飛騨800人)
■要救出者数(午前3時発生)
   2,100人(うち飛騨2,000人) 
■避難者数(午後6時発生、午前3時発生共通)
  64,000人(うち飛騨54,000人)
 
=高山-大原断層系の被害概要=

■建物全壊棟数(午後6時発生、午前3時発生共通) 
  27,000棟(うち飛騨19,000棟)
■死者数(午前3時発生)
   1,400人(うち飛騨1,000人)
■重症者数(午前3時発生)
   1,500人(うち飛騨900人)
■要救出者数(午前3時発生)
   3,400人(うち飛騨2,500人)
■避難者数(午後6時発生、午前3時発生共通)
   87,000人(うち飛騨62,000人)

想定総数からの 飛騨の割合を見てください。
飛騨圏は人口が少ないのに こんな割合になります・・。

人事では無いのです。


以下は転載するかどうか悩んだのですが 
興味が無ければ お読み頂かなくて結構です。

阪神大震災後 二度目の視察は大変辛い思いになりました。

その ほぼ破壊された街の中にも
ぽつんぽつんと 倒壊を免れた建物が残っていました。
瓦礫の山の中で被害の無い家からは ご夫婦が装って
さっそうと車に乗ってどこかへ出て行き
一方隣の被災家族は 着崩れ姿で涙ながらに瓦礫の山に登り
家財道具を取り出す姿がありました。

あまりに無情で 本当に思い出したくない光景です。

そんな中 建て替えで家族と財産を守った奥様と話ができました。

一年前に建て替えた無被害の家で難を逃れた奥様は興奮しながら
私の問いに 近隣で多くの犠牲者が出たことや
被害状況を瓦礫の山に指さしながら矢継ぎ早に話してくださいました。

一年前500万円をかけて立派に瓦屋根を修理したお宅は
奥様が犠牲者となり 古い家の老夫婦は共に犠牲に・・

もし私達も建て替えを一年前に決断していなければ
近隣の家族の様に 家族も家も 財産をも失っていたでしょう。
と玄関前の庭木に水をかけながら話してくれました。

夕暮れ時 無被害の家には明かりが灯り
家族が会社から学校から帰って来ます。

一方 避難所では暗闇の夕げの列にボールを持った老若男女が
規律正しく寒空の下で給食を待っています。

それでも 生きていかなければいけないのです。

それでも 良く生き残ってくれたと思わずにはいられません。

ボランティアや行政の活動には 心打たれましたが
どうにも やるせない闇でした。


最後に・・

地震が来たら まず命を守る事に専念してください

その後は 日頃の準備がなんとかしてくれます。  

Posted by   Eye's   at 08:34Comments(0)家を建てる前に